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2022年5月号

「コロナ禍で生きるお念仏のみ教え」
総本山知恩院執事 おてつぎ運動副本部長 堀田 定俊

 法然上人が43歳で浄土宗をお開きになった1175年、京都では天然痘が大流行していました。法然上人の元には心の不安、恐怖心などのため、多くの人が救いをもとめて訪ねてこられたという記述もあります。

 天然痘や天災、私怨、戦乱、飢饉などによって人々が不安で絶望の底にあった時に、法然上人はどのようにお念仏の教えをお説きになったのか、コロナで混乱する世の中にどう生かされるのか考えてみましょう。

あなたにとっての幸せとは何ですか?

 令和6年には、法然上人が浄土宗をお開きになって850年になります。浄土宗では「お念仏からはじまる幸せ」というキャッチフレーズを作りました。普通の人は、「お念仏」と「幸せ」がどう繋がるのかと疑問に思われるかもしれません。お念仏というのは、「南無阿弥陀仏」と称えて西方極楽浄土に生まれさせていただく教えです。なのに、「幸せ」というのは〝今〞の話です。お念仏からはじまる幸せとは何だと思われますか?

 幸せの尺度は人それぞれ違います。厚生労働省が、「あなたにとっての幸せは何ですか」とアンケートを取ったところ、約54%の人が「健康」と答えました。他にも「家族が仲良しで元気」「食べていくだけのお金がある」「やりがいのある仕事がある」など、いろんな幸せがあります。

 ところが、それらは本当の幸せではありません。つかの間の儚い幸せです。健康だから幸せだと思っていても、いつかは病気になります。お金も仕事も、いつ無くなるかわかりません。お釈迦様がおっしゃったように、生老病死はみな平等に受けなければならない苦しみです。家族が元気であればそれで幸せだと言うけれど、もしも交通事故や災害に遭ってしまったら、一瞬のうちで地獄の思いですよ。

 人間いつかは死ななければなりません。しかしそれが突然起こった場合には、どうしようもなく悔しく、悲しく、無念でつらいのです。だから目先の幸せというのは、何の保証もない、苦しみと背中合わせの幸せです。それに執着して追い求めるから、苦しみがついてくるのです。それが果たして本当の幸せなのか、考えなければなりません。

探し求めていた教えとの出会い

 法然上人が比叡山で学んでいた当時の仏教は、修行して煩悩を滅し、覚りに至るというのが常識でした。法然上人もそれを目指して猛勉強なさいます。しかし知恵第一の法然房と呼ばれた法然上人でさえ、どれだけ修行し、勉強してもついに煩悩を滅することはできませんでした。「こんなことでは一生覚りに至ることはできない、どうしたらいいんだろう」と、想像を絶するほど苦しまれたと思います。そして43歳になったとき、ついにお念仏の教えと出会われます。

 唐の時代の善導大師という方がお書きになられた『観経疏』に、「一心に専ら弥陀の名号を念じて行住坐臥に、時節の久近を問わず。念念に捨てざる者、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に」とありました。法然上人はそれをご覧になって、「これこそ自分が探し求めていた教えだ!」と、感激のあまり涙を千ほど流されたそうです。煩悩がなくならなくてもいい、お念仏さえお称えすれば、阿弥陀様の本願にかなうものであるからきっと救ってくださる。その喜びの中で、しばらくお念仏を一心に称えられました。その時の法然上人は、まさに真の幸せを掴まれたのです。

 そして、「この教えを京都の町へ下りて苦しんでいる人々に伝えよう」と思い至られました。比叡山を下りて、今の御影堂のあたりに吉水の禅房という小さな庵を建てられ、そこにお住まいになられました。法然上人のお念仏の教えは枯野に火を放つがごとく、瞬く間に広がっていきました。その流れを汲むのが今の我々です。

お念仏からはじまる本当の幸せ

 さて、コロナ禍においてお念仏はどう生かされるのでしょうか。称えても病は無くなりません。もし感染したとしても、それは仕方のないことです。注意してもかかるときはかかります。しかしお念仏をお称えして阿弥陀様にすべてお任せすれば、阿弥陀様は大いなる慈悲の御心で「大丈夫、大丈夫」とすべてを包み込んでくださいます。今も、のちの世も阿弥陀様に任せきって、お念仏の中に心やすらかに日暮らしをしていく、それ以外にありません。

 その教えの境地に至る最も重要なことは、法然上人が自らおっしゃったように「私は煩悩を持った凡夫である」ということです。修行しても煩悩はなくならない。煩悩具足の自覚こそが、お念仏の根本です。

 自分は幸せだと思っている人は、お念仏なんて必要ないと思うかもしれません。でもいつかその幸せは崩れます。生きていると辛いこと、悲しいことがたくさんありますよね。それを乗り越えて幸せだと思えることが、お念仏の信仰です。生かされて生きることを喜び、どんなことがあろうとも、お念仏の中に日暮らしをさせていただいて、ああ幸せだなと思えるような時がやってきます。それこそがお念仏から始まる本当の幸せです。

 信仰は理屈ではなく、自分で感じるもの。自分がお念仏を称えて阿弥陀様の存在を信じることができれば、その時初めて本当の幸せを掴むことができるのです。

コロナ禍のおてつぎ運動

 おてつぎ運動は令和3年に55周年を迎えましたが、コロナの影響で知恩院にお参りいただけなくなりました。それならばということで今年3月まで毎月25日法然上人のご命日に三門、阿弥陀堂、勢至堂など場所を変えながらYouTubeでお念仏をライブ配信していこうということになりました。ホームページで見ると木魚の絵が出てきます。それをタップすると、ポクポクとお念仏を称えることができるので、手元に木魚がない人でも参加することができます。

 全国の方がたくさんオンラインで参加してくださってお念仏のお称え数も2万遍、3万遍と増えていき、誠に嬉しく思います。これはネット社会のいいところで、アメリカなど海外からも参加していただきました。今までにない教化、信仰運動ができたと思っています。

 コロナで外出できない、人と話ができないという状況で、知恩院としておてつぎ運動をどのように進めていけばいいのか大変悩んだ末のYouTubeでの別時念仏会でした。皆さんがお念仏をお称えしていただくための一助になれば幸いです。お念仏の中に今を大切に心やすらかに幸せに生きていきましょう。

後の世も この世もともに 
南無阿弥陀仏
仏まかせの身こそやすけれ