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法然上人の歩まれた道⑳

「引き継がれる慈しみの道」

 四月八日は釈尊の、前日の七日は法然上人のお誕生日です。釈尊は誕生されると七歩歩まれ「天上天下唯我独尊」(天上天下にただ我ひとり尊し)と言われた、と伝えられています。お経ではその後に「かならず一切衆生の生老病死の苦を度さん」(きっとすべての人々を命に付きまとう老いや病や死の苦しみから解放してあげよう)とあります。つまりこの世に生まれた者が、老病死などの避けられない不安に苦しめられて一生を終わるのではなく、そこを乗り越えて行く力が得られるように導いてあげるのだ、という慈しみの言葉が続くのです。それはせっかく頂いた命を受け身になって過ごすのではなく、それぞれが前向きに歩める道を尋ねる。そこに人の尊さがあること、そしてそのための道しるべとなる教えを尊び重んじるべきことを示唆しています。法然上人が説かれたすべての人がお念仏によって歩むことのできる浄土への道も、釈尊に始まるそのような慈しみの道の引き継ぎなのです。

 日本語のマナビ(学び)はマネビ(真似び)に由来すると言われます。法然上人はさまざまな仏教が日本に伝わってきた道をふりかえり、「浄土を欣う人はこの宗の祖師を学ぶべきなり」(苦しみや悩みにほんろうされることのない安らかな世界を願う人は、浄土の教えを広めたお祖師の道を学ぶべきである)と語っておられます。

 そのお祖師の一人、中国北魏の曇鸞大師は初め仏教を学んでいたのですが、病を得て命に不安を覚え、仏教を捨て長生不死の教え(仙経)を学びます。しかしインドから仏典を伝えるために来られた菩提流支三蔵から、長生きをしてもその中身が苦悩に付きまとわれるものであるなら、苦の種が尽きる時がないではないかと、命の質の大切さを教えられます。そこで浄土のお経を授かり、南無阿弥陀仏の名号という宝珠を心に投げ入れれば、心の濁りが静まり浄土に生まれることができるという教えを広めるのです。

 その曇鸞大師の教えに共鳴した初唐の道綽禅師は、仏法がかろうじて残る末法の世の人に広く救いの門戸を開いたのは、南無阿弥陀仏の名号を称える教え(浄土門)であるとし、木の実でお数珠を作り、それを人々に施してお念仏を広められたのです。道綽禅師はお数珠でお念仏の数をとり、少しでも多くお念仏をする身となれるよう工夫をされたのです。

 その道綽禅師を師とされた善導大師は、立ち居起き臥しの姿勢や、時間の長短には関係なく、心をこめてお念仏を相続すれば、みほとけとの間に親しい縁、近しい縁、浄土に迎えられる勝れた縁を結んで行くことが出来ると説かれたのです。法然上人はそのような善導大師の教えを導きとして浄土宗を開かれ、日々の衣食住の所作動作を、みほとけと向き合いつながるお念仏と共にする、そういう日暮らしをすすめられたのです。

 私たちは母胎に居る時から、温かくて信頼ができ安心できる、そういう言葉を乗せた声に包まれて育ちました。それが心を持った人が健全に育つ自然な道筋(法然道理)なのです。法然上人は南無阿弥陀仏を、みほとけが私たちを安穏の浄土に迎えるために〈定め置かれた名号〉だと語られました。阿弥陀仏が慈しみの心で準備された名号(言葉)、それを乗せたお念仏の声でわが身を包み、頂いた命を「いかにもいかにも育み助くべし」(ぜひとも、なんとしてでも、育み支えていくように)、法然上人はそういう日々の歩み方と励ましを私たちに伝えられたのです。

※「法然上人の歩まれた道」は、今号で最終回となります。 ご愛読ありがとうございました。

知恩院浄土宗学研究所主任 藤堂 俊英