教区をあげて、過疎に取り組む
浄土宗石見教区(島根県西部)には現在51カ寺があり、そのすべてが過疎地域に位置している。
過疎地域ということは、すなわち、交通アクセスが不便だということに等しい。関西からであれば、車で数時間走れば到着する。しかし、首都圏からとなると、新幹線は島根県を通らないし、在来線の鉄道の運行本数も少ない。東京と石見を結ぶ夜行高速バス「いわみエクスプレス」は、去年9月に運行休止になった。飛行機で行こうにも、萩・石見空港は1日に発着各2便しかない。大学入学や就職で首都圏に出て行った人にとって、石見は縁遠い故郷になってしまう。
教区長の本田行敬さん(67)は、「一人で暮らすお年寄りが多く、お葬式をすれば檀家が減る、という感覚があります。墓じまいの相談もよく寄せられます。ご本人の亡くなった後、一定期間ご供養するための永代供養塔を設けているお寺も多いですね。この先、お寺の合併もありえるでしょう。教区が一丸となって対応しなければ、とても乗り切っていけません」と、石見地方を取り巻く厳しい現状を語る。
檀信徒四百人が集った東京法要

第10回目となった石見教区東京法要。
導師をつとめるのは本田行敬教区長
本田行敬さんは、故 本田行憲さん(前教化団長)と一緒に、教区内の寺院に「首都圏で暮らす檀家さんとのご縁を大切にしよう」と声をかけ、平成19年から毎年、東京の大本山増上寺で「石見教区東京法要」を実施してきた。最初は「私たちが東京に出向いたら、故郷に帰らなくていいと思われるのでは」と危惧する声もあったが、「東京法要がきっかけとなって、故郷の菩提寺に再び足を運んでくれる人が増えた」という。
教化団で案内状を印刷し、各寺院の住職が首都圏に暮らす檀信徒に送付する。地道な努力を続けた結果、第1回目は百人ほどだった参加者が、10年目となった今年9月の法要では、四百名にのぼった。石見まで帰れないお年寄りが、孫に支えられながら増上寺におまいりに来る姿もあった。寺報を送るだけの関係は、実際に年1回会える関係に、確実に深化した。
また、今年は10周年を記念し、「石見の文化を知り、石見に来てほしい」と期待して、法要後には大殿前で「石見まつり」を企画。メインプログラムの伝統芸能「石見神楽」の奉納は、用意していた五百席はすべて埋まり、立ち見を含めると約千人が楽しむという大盛況だった。
お寺で「いきいき」とした時間を

高石ともやさんの名調子に
耳をかけむける満堂の参加者。
10月11日光明寺本堂にて

石見で活躍する山根健嗣さんと
一緒に歌う良忠寺住職(右)。
良忠寺では11月から
娘さんが指導するヨガ教室も開始した
一方、石見教区では地元の人々に対しても、「活き活きとお寺にやってきて、やがては往(い)き生(い)きとお浄土へ」と願って、「いきいき巡礼コンサート」を計画してきた。
初めて開催したのは2年前だ。フォークシンガーの高石ともやさんを招き、そして、住職自身も自作の歌や紙芝居で地域の人々をもてなすというプログラムを6カ寺で実施。六百名が参加した。本田行敬さんも石見抒情歌を作詞し、自ら本堂で歌った。住職自らが歌ったり紙芝居をしたりするのは、「まずは人柄を知ってもらうことから」という狙いからである。
第2回の今年は、10月11日~13日にかけて行われ、6カ寺に450人が集まった。
初日の会場となった光明寺は、今年4月に住職に晋山した本田行尚さん(34)が「悲しいときだけじゃなく、嬉しいときも来てほしい」と意欲的に取り組んだところ、およそ80人が参加。うち半数は檀信徒以外の方々だった。参加者からは「お葬式や法事の暗いイメージとは違った」と喜ぶ声が聞こえてきた。総代も新住職の試みを笑顔で見守っていた。
高石さんも、「フォークソングは街から街へと移動しながら人に合わせて歌っていくもの。お寺を巡礼して法然上人の生き方を訪ね、人々とふれ合っていくのはやりがいがある。本当に救いをもたらすものは、日々消費されるポップミュージックではなく、法然上人の教えだと思う」と共感の言葉を連ねた。
過疎問題はもちろん容易には解決しない。しかし、石見教区のお寺に「いきいき」としたぬくもりがあるなら、縁のある多くの人々にとって、帰りたい心のよるべであり続けるにちがいない。