三河仏壇職人 兼 デザイナー 都築数明
三河仏壇の伝統を背負って

三河仏壇職人 兼 デザイナー
都築数明

中に入って瞑想できる仏壇「カンタカ」。
高さは2メートル以上ある
名古屋駅から電車で西に向かうこと30分。岡崎駅に降り立つと、交通安全の標識の裏側に、徳川家康の旗印「厭離穢土欣求浄土」が掲げられる。
徳川家康が生まれ育ったここ三河地方(愛知県東部)には、尾張地方(愛知県西部)とは異なるひとつの仏教文化圏がある。その象徴ともいえるのが、「三河仏壇」である。押入れに安置するために台が低く、「うねり長押(花子障子)」を持つなどを特徴とするこの仏壇の様式は、江戸時代中期の元禄年間にまでさかのぼる。今日では「伝統的工芸品」にも指定される由緒正しい文化財産である。
都築仏壇店(愛知県額田郡幸田町)も、三河仏壇を取り扱う店舗である。しかし、店内に入って目を奪われるのは、荘厳な三河仏壇ではなく、中に入って瞑想できる仏壇「カンタカ」や、武士の兜にインスピレーションを得て創作した仏壇「武壇」などのオリジナル仏壇だ。いずれも、仏壇店の跡継ぎの都築数明さん(45)が手掛けてきた作品である。
仏壇を持たない家庭が増えるなど、仏壇文化が廃れていく現状に危機感を抱いた都築さんは、平成15年、三河の技術を受け継ぐ若手仏壇職人集団とともに「アートマン・ジャパン」を結成。伝統技術の粋をいかんなく発揮し、世界に通用する仏壇を作りたいと志して、アート仏壇を創作し、ニューヨークやデュッセルドルフでも個展を開いてきた。海外に出てみると、「日本人は自分たちのことを〝無宗教〟といいますが、家に仏壇という祈りの空間を持つ、大変信心深い人たちなんですね」と言われ、家庭に仏壇があることの文化的豊かさを称賛されたという。
技術継承の新しい仕組み作り

ウルトラ木魚だけでなく、漆塗りされたウルトラマンと怪獣など、
遊び心満載の作品が並ぶ
しかし、華やかに見えるこの「アートマン・ジャパン」の活動だが、「いま思えばピントが合ってなかったですね」と笑う。
きっかけは東日本大震災だった。被災地に何度も足を運ぶなかで、津波で家をさらわれた人が、仏壇を探そうとしないのに、位牌を一生懸命に探す姿を目にした。培ってきた技術を発揮して120柱もの位牌をボランティアで修復し、心の復興のために尽力した。
この体験を機に「三河仏壇の〝形〟にこだわってきましたが、遺していくべきはむしろ〝技術〟だと思うようになったんです」と語る都築さんは、三河仏壇の枠を超えて、他産業とのコラボを積極的に進めるようになった。代表的な作品は、平成25年の円谷プロの50周年記念プロジェクトに合わせて作った「ウルトラ木魚」だ。その世間からの注目度たるや、アートマン・ジャパンとして10年間活動してきたのをはるかに上回ったほどだった。
最初は「さすがに怒られるかもしれない」と恐れていたが、ウルトラ木魚に対して批判はまったく寄せられなかった。背景にあるのは、「インターネットが普及しタブーがなくなり、代わって話題性のあるコンテンツが求められている」ことだと分析する。

「歴史×職人×流行を掛け合わせれば、
ユニークなプロダクトができる」と
都築さんは手応えを語る
「『良いものを作れば売れる』と職人は考えがちですが、良いものを作るのは当たり前のこと。なにか新しいものにチャレンジしてこそ価値が生まれてくる時代なんです」と、都築さんは周囲の職人たちにも意識改革を促す。さらには、弟子をとった分だけ親方がその賃金まで面倒を見なければいけない「徒弟制度」が負担になるなら、「伝統技術を学びたい人たちに有償で教えるような仕組みへと移行してはどうか」と提唱する。
「祖父は半農半職でした。それが良いワーク・ライフ・バランスだったのでしょう。いまなら、技術を学んだ主婦が自宅で育児をしつつ、ハンドクラフトを専門的に扱うサイトで作品を販売して収入を稼ぐこともできます。技術がうまく継承されて、文化を豊かにしていくような仕組みにしていきたいですね」
そして、愛らしいウルトラ木魚を手に、「田舎の一風変わった仏壇屋ですから、楽しみながら進化していきたいですね」と、培われてきた技術の伝承を期した。
※「知恩」四月号より、都築数明さんの連載「美しき拝みのデザイン」がスタートします。合わせてお読みください。
プロフィール
都築 数明(つづき かずあき)
昭和46年愛知県幸田町生まれ。米国エベレットCC数学科卒。伝統的な仏壇仏具の技術を使った作品を国内外で多数発表。作品にはウルトラマンとコラボした「ウルトラ木魚」などがある。東日本大震災で被災した位牌を120柱ほど無償修復するボランティア活動を実施。名古屋芸術大学にて非常勤講師もしている三河仏壇の職人兼デザイナー。