法然上人のお言葉― 元祖大師御法語 ―

前篇
第十四章

専修念仏せんじゅねんぶつ

念仏は生まれつきのままに修めればよいが、努めて悪を改めるがよい。

(勅伝第二十一巻)

御法語

本願ほんがん念仏ねんぶつには、ひとちをせさせて、すけさぬなり。すけというは、智慧ちえをもすけし、持戒じかいをもすけし、道心どうしんをもすけし、慈悲じひをもすけすなり。

善人ぜんにん善人ぜんにんながら念仏ねんぶつし、悪人あくにん悪人あくにんながら念仏ねんぶつして、ただまれつきのままにて念仏ねんぶつするひとを、念仏ねんぶつすけさぬとはうなり。

さりながら、あくあらため、善人ぜんにんとなりて念仏ねんぶつせんひとは、ほとけ御心みこころかなうべし。

 

かなわぬものゆえに、「とあらん、かからん」とおもいて、決定心けつじょうしんこらぬひとは、往生不定おうじょうふじょうひとなるべし。

現代語訳

本願ほんがん念仏ねんぶつには、ひとちをせさせて、すけさぬなり。すけというは、智慧ちえをもすけし、持戒じかいをもすけし、道心どうしんをもすけし、慈悲じひをもすけすなり。

本願の念仏には独立をさせて、助けを差しはさみません。「助け」というのは、智慧をも助けとし、持戒をも助けとし、菩提心をも助けとし、慈悲をも助けとして差しはさむのです。

※道心=ここでは覚りを求める心。菩提心。なお念仏往生が菩提心を要しないとされることについては、前篇第十九章参照。

善人ぜんにん善人ぜんにんながら念仏ねんぶつし、悪人あくにん悪人あくにんながら念仏ねんぶつして、ただまれつきのままにて念仏ねんぶつするひとを、念仏ねんぶつすけさぬとはうなり。

善人は善人のままで念仏し、悪人は悪人のままで念仏して、ただ生まれつきのままに念仏する人を、「念仏に助けを差しはさまない人」と言うのです。

さりながら、あくあらため、善人ぜんにんとなりて念仏ねんぶつせんひとは、ほとけ御心みこころかなうべし。

 

しかしながら、悪を悔い改め、善人となって念仏する人は、阿弥陀仏の御心みこころに適うでしょう。

かなわぬものゆえに、「とあらん、かからん」とおもいて、決定心けつじょうしんこらぬひとは、往生不定おうじょうふじょうひとなるべし。

〔ただし〕仏の御心みこころに適わない自分であることから、「ああだろう、こうだろう」と心配して、「必ず往生できる」という思いの起こらない人は、往生の確実でない人なのです。