暗い道でも足元や行く先を照らす明かりがあれば前に進めます。厳しい寒さに直面しても温もりがあれば凍えずに明日を迎えられます。釈尊の教えには、そのように歩を前に進める明かりや温もりが備わっています。無知の暗闇と無慈悲の冷たさを追い払う釈尊の教えは、それを伝えることを使命とする伝灯師たちの懸命な努力によって、流砂や山岳や大海を越え、幾つもの時代を越えて、今日に伝えられてきました。お経にはその伝承の有様が、「一つの灯火から百千の灯火をともすとも、元の一つの灯火はその光を減ずることなし」と説かれています。
法然上人は誰もがお念仏によって安穏の境地に到ることが出来るという教えの灯火を、時空を越えた善導大師の教えから受け取られたのです。ある日、お念仏の暮らしを送る法然上人の夢に、次のような世界が現れたことが上人の語録や伝記に伝えられています。
そこには南北に連なる大きな山なみがそびえていた。西側の山麓には清らかな水が流れる川が見えた。法然上人が山の中腹まで登ると、浄土の空に浮かぶ紫の雲が見え、こちらへやって来た。雲の中からは光が放たれ、浄土にいる孔雀や鸚鵡が現れた。しばらくすると紫雲の中から一人の僧が現れた。その僧の衣は腰より下は金色、腰より上は墨染であった。
法然上人が「あなたは一体どなたですか」と尋ねると、その僧は「善導なり」と応えられた。そこで上人が「どうしてここへ来られたのですか」と尋ねると、善導大師は「あなたが人々にお念仏を弘めている、その行いが貴いからやって来たのだ」と言われ、そこで夢が覚めた。
法然上人が善導大師の教えに導かれ、お念仏の味わいを人々と分かち合っていたところ、その姿に共感した善導大師が夢に現れ、法然上人を励まされたと言うのです。善導大師の衣が腰より下が金色であったというのは、大師が阿弥陀仏の化身であることを表し、腰より上が墨染であったというのは、大師がこの世の人であることを表しています。この善導大師(高祖)と法然上人(元祖)の夢中での出会いは二祖対面と呼ばれ、法然上人が善導大師から念仏往生の教えを継承し、それを弘めることを後押しされた証と受け止められています。
仏教の歴史では中国の隋や唐の時代あたりから、各宗派の教えが誰から誰へと伝承されて来たのかという系譜(血脈)に関心が向けられます。一般に何かの技の伝承は、師が弟子に口授で、あるいは仕事に打ち込む姿を通して、あるいは書き物に託して伝えられます。法然上人が夢中で善導大師と出会い、念仏往生の教えを伝承したという系譜に対しては、夢中での出来事は真実ではないという主張があるところから、浄土宗七祖聖冏上人や琉球に浄土教を伝えた袋中上人は、高僧が見た夢には仏法を授かり弘めるきっかけになった事例があることを、さまざまな仏典から取り上げています。
そして、心を静める禅定によって仏の世界を感得する三昧(定心三昧)を体験した人は〈寤寐恒一〉、つまり目が覚めている時も眠っている時も、心の状態はいつも同じであるという経文をふまえて、お念仏の声を通して仏の世界を感得する三昧(口称三昧)を体験された法然上人にとって、夢中での出来事は妄夢などではなく真夢であると説明されています。ちなみに中世の人たちの日記や文学には、さまざまな夢の体験が書かれています。浄土宗の高僧の記録としては、袋中上人の『寤寐集』、東北地方の念仏教化に尽くされた無能上人や、知恩院勢至堂の南隣に一心院を開かれた称念上人の「夢の記」などがあります。
知恩院浄土宗学研究所主任 藤堂 俊英

法然上人と善導大師の二祖対面(『法然上人行状絵図』巻七)