法然上人の語録や伝記、また勅撰和歌集には、上人が詠まれた和歌が伝えられています。江戸時代には上人ゆかりの寺院を巡礼する霊場めぐりが起こります。そのためにつくられた案内記には、各霊場におもに法然上人の御歌が一首ずつ当てられています。
江戸時代の湛澄上人は『空花和歌集』という法然上人の御歌の解説書を著しています。序文には
「やまと歌は人の心をたねとして、咲きにおう詞の花なれば、その風体その人に似るべし。ここにわが法然上人は往きやすき御法の門を開き給うのみにあらず、至り難き風雅の境にも立ち入らせ給えり。つらつらその詠歌を見るに、いとよく上人に似たり。実相そなわりて、おのづから世の教誡となり、人をして幽玄ならしむる徳あり」
(和歌は詠む人の心を種とし、人柄の香りを伴って咲く言葉の花ですから、歌から受ける印象はその人に似ています。私たちの法然上人は、誰もが往き易き浄土への門を開き示されただけでなく、奥深い詩歌の世界にも通じておられたのです。よくよくその御歌を見ると、たいそうよく上人に似ています。さとりの世界の有様が備わっていて、おのずと人々を教え導き、味わい深い世界に誘う徳があります)
と書かれています。
浄土宗では「月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人のこゝろにぞすむ」の御歌を宗歌と定めています。詞書に「光明は遍く十方の世界を照らし念仏の衆生を摂取して捨てたまわずの心を」とあるように、『観無量寿経』の教えを詠まれた御歌です。月影とは月の光のことで、阿弥陀仏のみこころを表します。みほとけの救いの光は月の光のように、どんなに遠く離れていても、ながむる人(念仏する人)の心に、その清らかな光を届けて下さるのです。
法然上人は『選択集』で、
「念仏の行、水月を感じて昇降を得たり」
(天上の月と地上の水の間には、隔たりを越えた交流の世界が生まれるように、阿弥陀仏と念仏する者との間にもそのような共感の世界が生まれる)
と述べておられます。法然上人は世界を遍く照らす阿弥陀仏の光明が特に念仏する人に向けられることについて、世界を遍く照らす光は常に照らす「常光」であり、その中でも念仏する人を救い取る光は「神通光」であると説明しておられます。神通とは仏やボサツが救いの手を差しのべるために、一人一人と向き合い、その心の奥底を見通す智慧のことです。
この御歌にある「こゝろにぞすむ」の「すむ」は、漢字では住・澄・済などを当てることができますが、日本語の「すむ」は、動いていたものが落ち着くありさまを表す語根の「す」に、「む」という語尾を添えたもの、と言われています。法然上人は葦が生い茂る水面(妄念)にも月は宿る、という譬えでお念仏の世界を語っておられます。みほとけを招く南無阿弥陀仏の声は、その光をどのような心にも宿し住まわせ、私たちを安らかな落ち着きの世界に導いてくるのです。
ところで、月影の御歌は法然上人入滅から百八年経った頃に撰集された『続千載和歌集』にも収録されています。そこではそのすぐ後に、上人に帰依した宇都宮頼綱(出家名は蓮生)の「下品下生の心をよみ侍りける」という詞書がある、「道もなくわすれはてたる古郷に 月はたずねて猶ぞすみける」という歌が収録されています。下品下生とは、重い罪悪を背負ってきたけれども、臨終の間際に善知識(善友)のすすめで念仏して往生する人のことです。世界を遍く照らす阿弥陀仏の光明は、見放されたような人のところにも訪ねて行く、大悲の光明であることを詠んだ歌です。
知恩院浄土宗学研究所主任 藤堂 俊英

上人修行の故地黒谷青龍寺に立つ月影の歌碑