歴史と見どころHistory & highlights

知恩院の建造物

濡髪大明神

濡髪大明神

勢至堂・山亭の脇を通り抜け、お墓の奥へと歩みを進めていくと、ひときわ大きな「千姫(徳川秀忠公の長女)の墓」があり、さらにその先に「濡髪(ぬれがみ)祠」と掲げられた鳥居が見えてきます。

御影堂ができたために住家を追われたキツネが、知恩院第三十二世雄譽霊巌(れいがん)上人にお願いし、代わりに用意してもらったのが、この「濡髪大明神」です。「濡髪」という名前は、童子に化けていたときに髪が濡れていたことに由来します。 もともとは火災除けの神様としてお祀りされていましたが、「濡髪」が艶やかな女性の姿をイメージさせることから、祇園町のきれいどころの信仰を集め、今日では縁結びの神様「濡髪さん」として親しまれています。

また毎年11月25日午後2時より、護摩焚きの大祭を厳修し、皆さまのご多幸を祈念しています。

護摩焚き

毎年11月25日に護摩焚きを行い人々の所願成就を祈る

コラム千姫

二代将軍 徳川秀忠の長女(1598-1664)。幼くして、豊臣秀吉の息子 秀頼の元へ嫁ぎますが、大坂の陣により徳川家の元へ保護されました。
その後、姫路城主 本田忠政の嫡男 忠刻のもとへ再嫁しますが、忠刻らの病死により、弟の三代将軍 徳川家光の元へ戻ります。千姫は出家して天樹院と号し、江戸の竹橋御殿で余生を過ごしたといわれています。享年70歳。

千姫の墓
千姫の墓

コラム濡髪童子

江戸初期、知恩院第32世 霊巖上人の枕元に、濡れ姿でシクシクとすすり泣く童子が現れました。この童子は古くからこの御影堂の地に住む白狐であり、御影堂が建設されたために住処をなくしたとのことでした。あわれに思った霊巖上人は、童子のために寝ぐらを作ってやりました。

後日、再び枕辺に現れた童子は、お礼に知恩院を火災から守ることを誓い、その証に御影堂の軒下に傘を置いていったと言い伝えられています。

その後、上人はその童子を濡髪童子と名づけ、祠におまつりしたといわれます。

忘れ傘