国宝・御影堂ものがたり
第1回知恩院と御影堂
御影とは肖像の尊称であります。つまり、元祖法然上人の御影を本尊として安置するが故に「御影堂」と言われ、又知恩院の幾多の伽藍の中でも最も大きいお堂であるため「大殿」とも呼ばれています。
7月某日の午前3時、御影堂の扉をあける音が暗闇の境内に響き、法務当直の若い僧侶が甲斐甲斐しく堂内の法要準備に取り掛かります。
香炉に入れる炭を熾し、法然上人御影の御宝前、東西の脇壇、回向壇、仏殿阿弥陀如来の御宝前に閼伽の水を供え、灯明を点け、線香をあげ、幾つもの香炉に炭を入れていきます。
4時40分、廊鐘が回廊に響き、袈裟衣を整えた当直僧は5時に今一度廊鐘を鳴らしてお朝事の導師をする御門跡猊下をお迎えに参ります。
「大哉解脱服 無相福田衣 被奉如戒行 広度諸衆生」(袈裟の功徳を讃え、仏教修行の福田衣として、広く衆生を教化すべきであると決意を促す偈)と袈裟被着偈を唱える凛とした聖なる声が長い庫裡廊下を清めるが如く響き亘ります。
先進、役席、内役、御門跡猊下、伴僧の順で仏殿に向かいます。すると仏殿回廊脇の雲版が華頂の翠峰に響鳴し、木魚のリズムに合わせたお念仏の声が聞こえてきます。
阿弥陀如来に臨終来迎を願うお念仏の後、御影堂へ向かい、お念仏の元祖法然上人の御尊影前に鴻恩報謝のお念仏を称えます。この様な光景は、知恩院第二代勢観房源智上人が大谷の山上南禅院僧房跡(大谷の禅房と呼ばれた今の勢至堂の地)に法然上人の御影堂を整備してから今日に至るまで毎朝八百年近くの間途切れること無く続いています。一日中で最も大気が澄み清浄なお朝事におまいりされ法然上人のみ心を全身で感じ取っていただきたいと存じます。
知恩院は、法然上人のみ教えである専修念仏発祥の地であります。また、大谷の禅房は上人終焉の地であり、当時その御本廟への参詣者は肩や袖が触れ合い、市の様であったと「知恩講私記」に記されています。
このようなお念仏信仰の聖地に建つ知恩院御影堂は、全国門葉の心の拠り処、専修念仏信仰の帰結する処、念仏の根本道場であります。法務の大役を預かる身として、祖師信仰の中心である御影堂を八百年御遠忌、更にはそれ以後に向けて子子孫孫に守り伝えなければなりません。震災、原発事故など世情混乱せる今こそ念仏弘通に邁進せねばならない時と存じます。